2017年12月31日日曜日

20171231 まんなかの神さまと壊れた時計

2017年の一年間で、わたしの手元から誰かのもとへ渡った作品の数は、500点ちょっと。

そんなにも、という驚きと、まだそんなもんか、という落胆。
どちらも、本音。

人を待たせすぎないためには今のペースが最適だけど、自分の日常の中にたくさんある余白の時間のことを考えれば、まだまだ作れる。
ちょっとしたことを人に手伝ってもらうようにしてからはずいぶん楽になったけものの、葛藤はいつも尽きない。

ともあれ、作品を通じて関わりを持つことのできたすべての人に、深謝の気持ちでいっぱい。

作品がどんな人のもとへ届いたのか、そこにどんなストーリーがあるのかを全部知っていることが、どれだけ恵まれたしあわせなことか、毎日毎日ありがたさで満たされている。


去年の今頃の苦々しい経験があったからこそ、今年は大きな方向転換に挑戦できた。
その方向転換が功を奏して、今年はとても充実した、いい年になった。
来年はもっと新しい挑戦をしたい。

どうかこれからもまた、たくさんの人に会えますように。


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仕事と反比例するように、プライベートは空っぽ。

たまに親しい友人と会うくらいで、たいていはひきこもっている。

そんな状況では浮いた話の出てきようもないけれど、そういえば先頃、仕事で出会った人と情報交換のビジネスランチをしたとき、とことん噛み合わない会話の果てにどういうわけだか本気で結婚前提のおつきあいを申し込まれる、という珍事があった。

わたしに運命を感じたというその稀有な人は、わたしの素敵なところやその運命について一生懸命語ってくれた。

けれど残念ながら、彼の言葉はまるで知らない星の言葉みたいにわたしにはひとつも理解できず、その人の視線が熱を帯びるごとに、決して懐かないネコみたいに身体中の毛が逆立っていく。

仕事をする分にはまったく差し支えなかったけど、プライベートのわたしは、1mmたりともその人を好きじゃなかった。
運命って、けっこう残酷だ。


そのときまで、友人たちがわたしに対して声をそろえる「ストライクゾーンが狭すぎる」という評価を、みんなの勘違いだと思っていた。

確かにわたしはおおかたの人にまったく興味を抱かない。
でも、友人も含めて誰かと時間を共有するためのモード切替をすれば、だいたい誰とでもそれなりに感じの良い時間が過ごせるし、誰のこともそんなに嫌いにならない。

実際にはそんな切替をしなくても誰かといられる人の方が、きっと多いんだろうけど、ひとりの時間がどうしても必要な人種はいるし、その類の人がみんな独り身でいるかといえば、そういうわけでもない。

だから、たとえものすごい恋に落ちることがなくても、日常を穏やかに楽しく過ごしていける人を見つけるのは、今やもうそんなに難しいことじゃない、と本気で考えていたのだ。

でも、結論から云えば、友だちはみんな、正しかった。


意外と、こうじゃなきゃ嫌だ、がたくさんあるらしい。
自分のことはいくらでも棚に上げて。


その出来事を通して、痛感したことがある。

パートナーがいたらいいのにな、という気持ちは嘘じゃないけど、目をこらして本音を眺めてみると、その気持ちの9割を占めるのは「38歳にもなって女性として誰かに特別愛されることもないのはきっと何かおかしなところのある惨めな女だからに違いない、なんて誰かに思われたらものすごくムカつくな、という見栄」だったこと。

結局、そんな単純なことなのだ。

それでも、番った女性たちがみんな判を押したように同じ空気を醸していくように、どんなに仕事をがんばろうが、誰かをしあわせにしようが、深く根づいている古くからの価値観の前で巻き込まれ事故みたいに嫌な思いをする場面に遭遇してしまうことが、独身女の日常の中には残念ながらたびたびある。


ほんとうに自分がひとりで満たされていれば、自分以外の世界にふと気を向ける、ということ自体が愛で、ただそれだけでもうじゅうぶん、というスタンスを貫いたところで、たとえ悪気はなくとも他人が不注意に落とした小さなひとしずくによって、凪いでいた静かな水面に波紋が広がることもある。


切実な願いならともかくこんなつまらない見栄のために、ものすごく好きな人以外の人とちょっとでも時を共にするなんて無理だ、と思い知った今、この教訓を活かして、いっそう厚くなったバリアに空いている針の穴ほどの小さな隙間をくぐり抜けてきてくれる猛者か、あるいはその針の穴からほどけない糸でグルグル結んでしまいたくなるような美しい人に出会えるのを楽しみにしながら、しばらくはこのまま過ごすことにした。


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秋の福岡と大阪でのふたつの展示をきっかけに、期せずして、小さな遠足をちょこちょことする機会を得た。


気のおけない友だちと、家族と、そして、いつもそばにいる見えない誰かとの遠足はどれも、とても楽しい時間だった。

遠足のときは、多かれ少なかれ必ず、その土地でピンと来た神社にも参拝する。

神社巡りはもはや、古本屋さんを見つけたら必ず立ち寄る、とか、友だちに会うために旅をする、と同じように、わたしの趣味のひとつみたいなものではあるけれど、少し特別な気概を抱いて神社に行くたび、今回はなぜか、今まで感じたことのない違和感に苛まれた。


たどりつくまでの道のりの美しさや険しさに感じるワクワク感や、空気の変わる参道の清々しさを全身で吸い込む心地よさは何も変わらないけど、どの遠足でも、そこに一緒に行った人や、その場所でなんらかの役割に従事している人、たまたま同じ時間を共有した人の言葉や行動のささいなことで、場がもっともっと輝きを増したり、反対に、整っていたはずの気が穢れるのを感じたりする場面の方がずっと気になった。


短期間に、福岡、壱岐、大阪、熊野、奈良、神戸、豊橋、出雲を巡った。

違う土地の、違う神さまが祀られたいろんな場所で、お社の中にいる「神さま」に向かって手を合わせるたび、最後にいつも同じ声がした。

「見ている方向が違うよ」


そのたびにわたしは後ろを振り返ってみたり、あたりを見回してみたりしたけど、どこにもなんにも隠れていたりはしなくて、その言葉の意味がわからないまま、ひょっとしたら自分と神さまとの距離感が変わりつつあるかもしれない、というなんとなしの予感は見て見ぬフリをした。

変わることが、怖かった。

だから、そんなときはいつもとりあえず、そこに来られたことに満足して、お土産みたいに起こる摩訶不思議な出来事を食事やティータイムのネタとして誰かに話したりしているうちに考えることはさっさとやめてしまい、予感も違和感もしまいこんでいた。


そうこうしているうちに年内最後の展示も終わり、とてもいい時間を過ごすことができた余韻のまま、さぁ、年内にオーダー分はぜんぶ終わらせるぞ!とはりきっていた矢先、20年以上ずっと部屋に掛けていた時計が突然、狂ってしまった。


その掛時計は当時つきあっていた人がプレゼントしてくれたもので、完全に彼の趣味が反映されたオールドアメリカンなデザインも質感も好みではなかったけど、愛着がまったくなかったゆえに、静かだから、という理由だけでなんとなく使い続けていた、くされ縁みたいな代物だった。

だから、その時計が元に戻らないとわかったとき、新しい時計に替えることにはなんの躊躇もなかった。

取り急ぎすぐに替えられるものを、とネットでいろんなデザインの時計を見ているうちにふと、20年以上もの間、いろんな喜怒哀楽がジェットコースターみたいに通り過ぎていっても、時計はいつも変わらずしっくりこないまま静かに時を刻んでいて、わたしはほとんど毎日、ともすれば一日に何度も、あの時計を見るたびに変な時計だなぁ、でも静かなんだよなぁ、と無意識に意識してはすぐ忘れていたことに、初めて気がついた。

その一連の動作は、ひょっとするとどんなルーティーンよりも密やかに、そして確かに、わたしの日常のひとつに溶け込んでいた。


時計というものがそんなふうに一緒に生きる時を刻んでいくものなら、音だけじゃなく見た目だって、自分がこれから過ごしたいイメージと同じものにしなくちゃな。

そう考えて選んだのは、『drops draw the existence』と名づけられたマットな白磁のデザイン。
無駄な装飾がなくて、洗練されていて、静かな、アートのように美しい時計だった。


どうせ明後日には届くし、とわたしは少しずつ狂っていく時計をそのまま壁にかけておいた。

けれども実際に新しい時計が届いたのはそれから2週間後で、その間、わたしの心と身体はまるで古い時計に呼応するかのように、どうしようもならない狂い、みたいなものに巣食われる羽目になった。

仕事をする気がまったく起きず、良質な睡眠は得られず、食べ物は消化されず、気持ちばかりが焦る。


そんな最中、気分転換も兼ねて名古屋と伊勢に出かけた際、ぼやけていたピントが突然クッキリと合うような気づきに出くわした。


それは、5年前にHIMIKAのロゴになるマークのインスピレーションをくれた、とある小さなお社の前で手を合わせていたときのことだった。

あらためてのお礼やかいつまんだ報告をムニャムニャとしている途中でふと、あれ、今、わたしはどこに向かって話しているんだろう、という疑念がわいてきた。

神さまの気配は確かにあるのに、手を合わせているお社にも、上にも横にも後ろにも、どこにも神さまが見つからない。

そこでわたしはいったん話すのをやめて、ところで神さま、今どこにいますか?と尋ねてみた。

するとすかさず、鈴のようにきれいな声が、

「わたしはここにいるよ」と云った。

声は目の前のお社でも上でも横でも後ろでもなく、確かにわたしの身体のまんなかから響いてくるのだった。


その瞬間、ここしばらく感じてきた違和感や、誰とはわからないけれどもわたしが神さま、と呼んでいるものがずっと教えてくれていた「見ている方向が違う」という言葉の真意が、すっかりわかったような気がした。


神さまっていうのは自由自在だから、どんな場所にも、過去にも未来にも、いつでもどこにでも居られる。

だから、神さまのおうちは立派なお社でもお札でも神棚でも石ころでもお花でもいいし、人の心や身体が常宿になったって、別にかまわない。


どこかでものすごく特別なものだと畏れて、もうちょっと離れたところにいると思っていた神さまが、小さなサイズになって自分の真ん中に棲みついている、とわかったら、わたしはとても嬉しくなった。

こんなに嬉しいのだから、これからもずっとそこで快適に遊んだりぐうたらしたり、わたしの心と親友になった暁には心が自分をこめてがんばっている仕事を手伝ったりもしてもらうためにも、わたしはわたしの心も身体も、もっともっと心地の良い、美しい状態であれるようにしなくちゃいけない。

そして、その在り様を投影できる場所を日常の中に作りたい、と強く思った。

アトリエが欲しい、というのはもうずっと考えていたけど、それが果たして何をいちばん優先する場所なのか、というイメージがなかなかつかめずにいた。


ほんとうに欲しいのは、展示をするための場所でも人と打ち合わせをするための場所でもなく、わたしとわたしの神さまだけの秘密基地。

ときどき誰かが遊びに来たり、お祭りみたいな楽しいことがあったりするかもしれないけど、それ以外はわたしたち以外誰にも入れない、聖域みたいな空間。


ひょっとすると、太古の昔に誰かが作り始めた神社やお寺や教会や、そういうもののいちばん最初の形もやっぱり、こんなちっぽけな願いから始まったんじゃないだろうか。

だとするとわたしがずっと心惹かれてきたのは、いつからか神さま、なんてひとくくりで呼ばれるようになった、その人の信じる絶対的な存在の住まいを自分の中にちゃんと持っていて、それをずっと忘れずに大切にしていきたいと強く願って目に見える形を作った誰かや、それをそのまま保ちたいと尽くした誰かの、その心意気みたいなものだったのかもしれない。


現実問題はさておき、その空間を形にすることができたら、そこから生み出される作品たちは今までよりもっともっと良いものになる。
何人もの職人さんに作れない、と云われたHIMIKAが、ちゃんと形にできたように。

そんな確信が、ある。


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微妙に時間軸のずれた、なんとも気持ちの悪い感覚のまま、クリスマスが過ぎ、年末も残り一週間を切ったところで、ようやく新しい時計が届いた。


狂った時計を壁からはずし、きちんと時間の合っている新しい時計を壁にかけた瞬間、時計と一緒に狂っていたわたしの調律が、嘘のようにピタリと合うのを感じた。

モヤモヤしていた視界が開けたら、途端に世界はとても明るく、美しい。
原因不明のネガティブでジメジメとした感情は乾いた砂のように吹き飛んで、重苦しい雲は消え、心はすっかり晴れている。


そのときになって初めて、わたしはここ2週間の具合の悪さがひょっとすると時計という媒介を通してつながっていた別の次元や時間の影響だったかもしれないこと、その中に蓄積されていたであろういろんな想いのことに、ようやく考えを巡らせることができたのだった。


無駄な装飾がなくて、洗練されていて静かな、アート作品のような新しい時計は、年が明けるより先に、わたしの新しい時間を刻み始めた。

わたしはまだ新しい時計がそこにあることに慣れなくて、見るたびにあぁそうだった、時計が変わったんだった、なんて素敵な時計なんだろう、といちいち驚いたり感嘆したりしている。
そしてこれまでよりずっと多く、一日に何度も時計を見る。

時間ではなく、その静けさと美しさを確かめるために。
その都度わたしの真ん中で、小さな神さまが手を叩いて喜んでいるのを感じながら。


それは、今のわたしにとってたまらなく嬉しく、このまま日常の中に埋もれていってほしい大切な瞬間のひとつに、なりつつある。














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