2016年3月24日木曜日

20160324

古本屋さんでとても好きな絵のついた絵本を見つけた。
レジの人が、レシートを入れておきますね、と裏表紙を開いたとき、ちらりと、びっしり文字の書かれた読者カードが入っているのが見えた。

お店を出てすぐ、その読者カードを取り出した。
挿絵を描いた人の個展でその絵本を見つけた、というその人は、自分がその絵本にどれだけ感激したか、出会えたことをどれだけ喜んでいるか、を熱のある言葉でつらつらと書き連ねていた。

ハガキの消印が平成15年の有効期限になっているところを見ると、おそらく、彼女がそのカードを書いたのはもう10年以上前ということになる。
記載されていた年齢から推測すると、たぶん今の彼女は、私と同じくらいの年齢だろう。


彼女がどうしてその読書カードを投函しなかったのかはわからないけれど、いつかの宝物だったその絵本を手放すとき、彼女は最後に一度開くことすらしなかったのだ、と思ったら、なんとなく、そんなもんなんだよな、と妙に納得してしまった。

たとえ作り手がどんなに魂をこめて身を削って作ったとしても、そしてそれを受け取った人にそのときどんなに喜びや救いや感激があったとしても、時間が経って心の中が変わっていくにつれ、それらの多くはやがて要らないモノになる。

もういいや、とゴミ箱にポイ捨てされるものもあれば、捨てるのはしのびない、と誰かの手に渡ったり土に埋められたりお寺や神社で燃やされたりするものもあるけれど、どちらにしてもそれはもうその人の人生とは一切関わりのない、ただの不要品。


私だって、ずっと前から持っている宝物と云って思い浮かぶのは12歳のときに母がくれた初めての宝石だけで、他に思いつくものはみんな、失くしたくなかったのに失くしてしまったものばかり。

それらだってもしかすると失くさなければいつか、簡単に手放していたかもしれない。


読書カードを出版社に送るか捨てるか少し迷った結果、二つにたたんで本屋の前のゴミ箱に捨てた。
だけど私はこの絵本を見るたび、彼女がこの本と一緒に手放した感激や喜びのことを、なんとも云えないザラザラした感覚と一緒に何度も思い出すんだろう。


本を持って帰宅したあと、部屋の模様替えをしていたら、最初の個展から何度かの芳名帳が出てきた。

去年までの個展やジュエリー展の芳名帳をひとつにまとめてパラパラと眺めながら、初期の頃と去年とで、来てくれている人がほとんど被っていないことに気づいた。

いろんな字で書かれている、私の人生を通り過ぎていった人たちの名前。
私が彼らのことを思い出すことはこの先たぶんないし、その人たちが私を思い出すこともきっと、おおかたないだろう。

この芳名帳も、捨てるかどうか迷った挙句、ファイルにまとめて引き出しにしまった。
もう会わない人のことは忘れても、その人たちのもとへ渡った、いつか不要品になるであろう大半の作品たちのことを、せめて私だけでも覚えていてやりたい。

個展に出した絵、人それぞれのエネルギアート、数珠のブレス、まだ本物の金を使わずに作っていたアクセサリー、絵本やカードやCD、そしてジュエリーたち。

どれもこれも、一生懸命作ったものたち。
あの作品たちはあれからいったいどんな時間を過ごしたんだろう。
そのうちどれだけの作品が、まだこの世界に残っているんだろう。


答えはわからなくてもいいけど、手放したあと一切忘れてしまっていた自分の作品たちに少し愛着がわいていたことが、なんだか少し、嬉しかった。

私もまた、日々変わってゆく。


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2月のほとんどを過ごしたハワイで見つけた石たちに、美しいねぇ、と語りかけながら、模様替えの終わった部屋で私は今日もジュエリーを作る。

作ったものは長く大切にしてもらえる方が嬉しいし、それがそばにあることがあたりまえになるくらいその人に日々になじんでもらえたら、作品にとってそれ以上の喜びはない。
だけどその反面、自分の作品が捨てられることを、厭わずにいたい。

私の作品を手にしてくれる人の中には、心の中にある願いを私の作品に委ねる人がいる。
そういう人にとって、作品が要らなくなるときは、その願いが叶ったときかもしれない。
だとすれば、一刻も早く、要らなくなれ、と思ったりもする。

それに、結局そんなもんだし、と心のどこかでうそぶきながら、それでもせつなだけが放つことのできる一瞬の輝きみたいなものを見つけては祈りと共に閉じこめて何かの形に残そうとする、その滑稽な作業の繰り返し、それ自体が私にとって、すでに喜びであり楽しみであり、生きている甲斐でもあるのだから。


















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